2006年07月02日

-恋から愛へ変わるとき-妻の愛でうつ病が回復した男の話

 私はうつ病でした。でも支えてくれた人たちがいます。私の治療のために誠心誠意尽くしていただいた方々への感謝の気持ちをつづる実話をこれから続けて生きたいと思います。
 私が回復したのは妻のおかげです。妻との出会いの話をしましょう。妻とは北海道有珠山の噴火がきっかけで知り合いました。そのころ私は北海道の有珠山麓にある虻田町に勤務していました。年は28歳、職場では中堅的存在でした。新人時代の使命感も役所の雰囲気に呑まれ、いつ退職してもおかしくない状態でした。そのころは世間では不況といわれているとき。「おれ、何のために生きてるんだ?」と日々思っていました。私の所属している部署は土木系でありとあらゆる知識が必要な部署でした。用地買収、地元説明会、町長説明等々。幼少のころから植えつけられていたヒューマンスキルのおかげで、係長から「きみ、本当にこの職場向いてるね」といわれた。私は   は・・・そうですかと返事した。もう退職を頭に描いていたからです。虻田町配属となって約1年がたったある夜、地震が起きました。「いつもの自身の揺れじゃない!」と思っているとTV速報がはいっていました。
<次回に続く>

-恋から愛へ変わるとき-<第2話>

 続き・・・「北海道有珠山で先ほど火山性微動を観測しました。」噴火の前兆の地震。職場では、噴火に対する緊急対策を講じる為、各部署では24時間勤務が一週間続いたのである。住民は避難し人がいない街中を噴火する日も私はパトロールを行うため、山麓をかすめる国道を通って担当地区へ向かっていった。おそらく私が最後に通過したのだろうか・・・。
 このとき1時間後に噴火するとは思っていなかった。その日は朝から地震もなく、嵐の前の静けさとやら。担当地区へ到着ししばらく経ったころ、携帯電話が鳴り響いた。電話に出ると「噴火したぞ・・・にげ・・・・・・・」?有珠山方面を見ると噴火直前にはなかった噴煙が立ち上っていた。あれ?会社の場所じゃないの?再度電話をかけても、携帯電話は音すらしなかった。連絡がとれず私と運転手の二人のみ・・・。完全に孤立してしまった。まず会社に戻ろうとしていた。噴火がおこって3時間が経ったころようやく連絡が付きある場所へと避難するために向かっていった。

妻と出会う約1週間前のことだった。
<次回に続く>

-恋から愛へ変わるとき-<第3話>

 ある建設会社の飯場(作業員さん等がお昼を取るための場所)を臨時にかりうけ数日避難していた。持ち物は財布に入った3,000円と携帯電話だけでした。一般の方は避難所で生活していましたが、われわれは避難所に入ることも出来なかった。なぜなら「公務員が避難所に入っていると報道機関にいえるか・・・」
いかにも役所的な考え方。銀行にいきたくても外出も許されず・・・。ただTVで噴煙を眺めているだけ・・・。こんな職場絶対いたくない。何が公務員だ。と心に隙間があり、何もやる気がしなかった。
 その後数日で伊達市に急遽、私の職場を移すことになり臨時事務所が開設された。たたみ30畳ほどの広さに約40名近い同僚と集団生活をすることに・・・。たこ部屋状態である。食事は避難食だ。しかしただ(無料)ではない。雲の上の存在が「避難食は一般住民が食べるもので、お前たちは避難者ではない」と・・・。こんな生活してるのに体験してから言ってみろと思っていました。噴火から1週間が経ち、自衛隊が空で監視する中、噴火口から約1.5kmの職場兼寮へ入ることが出来た。私の唯一の財産であるパソコンとハムスターの「ジェリー」を10分しか許された時間がない中、噴火による振動の中、駆け足で荷物をまとめ何とか戻ることができました。
 その夜、パソコンを電話につなぎ、超有名サイトで噴火の状況のことや、同じ境遇の人にメッセージを送った。
 メールが入り一人の女性からのメールでした。「私、看護婦やってます。家にも帰ること出来ず・・・。」その痛切な心のうちを感じ、居たたまれなくなっていた。思い返すとその時から運命だったのかと・・・
<次回に続く>
2006年07月03日

-恋から愛へ変わるとき-<第4話>

今までのあらすじ・・・火山の噴火がきっかけで出会った二人。メールからそれは始まっていった。

 メールが入り一人の女性からのメールでした。「私、看護婦やってます。家にも帰ること出来ず・・・。」その痛切な心のうちを感じ、居たたまれなくなっていた。思い返すとその時から運命だったのかと・・・。

 メールによると、彼女は大手病院の看護婦で、患者のために尽力していた。献身的に思えた私は、日々彼女にこうメールを入れていた。「いつもご苦労様です。あなたを大事に思ってくれてる患者さんはきっと多いはずです。頑張ってください。」
 そうしてメールの交換が続く。私も毎日が少し楽しくなっていった。
そのころ私の業務といえば、噴火口が近くもっとも危険な箇所へEYEマスク、防塵マスクを付け、被災状況を日々確認していた。皆さん報道等で聞く災害など起きたとき被災状況00000億円で・・・。等など耳にしていると思います。その基本的な情報を取りまとめるため、噴火ガスのにおいが立ち込める廃墟と化した洞爺湖温泉町を警察車両の先導で、調査していた。
町は火山灰に包まれ雨でぬかるんだ道は粘土の上を走っているようで、スリップして進まなかった。大爆発の恐れもあるため、作業時間が制約されていた。
身の危険を感じつつも自分は、彼女のメールに励まされ頑張っていた。あの時頑張れたのは日々のメールだったのは間違なかった。

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-恋から愛へ変わるとき-<第5話>

 仮に作られた仮住まい兼事務所は、接着剤のにおいが充満し、健康を害してもおかしくはなかった・・・。案の定である。今まで体験したことのない事態に遭遇してしまいました。両手の皮がむけ始め、かゆみと共に皮膚が剥がれ落ちていった。「このままじゃまずい。病院にいかないと・・・。」

 そのころ24時間事務所内に缶詰で外出も許されていなかった。手の症状は悪くなる一方。同じ症状を訴えた同僚もいた。1週間が経ち彼女が看護婦だったことを思いかえし、あまり心配をかけたくなかったが、相談し意見を聞こうとメールを出した。「それ病院の皮膚科にかかったほうがいいよ。早いうちに行かないと大変だよ。」相変わらずの集団生活。プライバシーのない生活。精神的にまいっていきました。そんな胸中で送られて読んだあのメール。ただ一点のやさしさと、同じ時間を共有している安堵感に安らぎを感じていました。
 次の日早速、事務所の窓から見える有名な病院の皮膚科に足を運んだ。
避難者が相当数受診しており、受診まで待たされること3時間。医師に状態を見てもらい、診断結果を聞いた。愕然としました。「科学物質によるシックハウス症候群の一種です。」シックハウスというとアレルギー体質の人がかかりやすいと聞いていたから・・・。なぜ?と思いながら考えると、火山灰にはヒ素が含まれると聞いていたことを思い出した。こればかりではないでしょうが、事務所兼の仮住まいも急遽作られたため、壁紙の接着剤に何か有害のものが含まれていたのかもしれない。

 その晩、病院に受診したことを彼女に打っていた。「その病院、私の勤務してる病院だよ。」そのとき初めて、歩いて1分のところに彼女が仕事をしていることがわかった。
 手の状態は心のどこかから忘れ去られ、日々のストレスから放たれた一日だった。
 
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2006年07月04日

恋から愛へ<第6話>

 その晩、病院に受診したことを彼女に打っていた。「その病院、私の勤務してる病院だよ。」そのとき初めて、歩いて1分のところに彼女が仕事をしていることがわかった。
 手の状態は心のどこかから忘れ去られ、日々のストレスから放たれた一日だった。

 日ごろの失望感と、毎日繰り返される激務。そしてプライベートのない生活に一筋の光を見た感じだった。その夜何度も何度もその書き込みを読み、こみ上げてくる感情があった。
 何日かが過ぎ完全拘束から解き放たれ、数週間ぶりに休暇が与えられた。願ってもいなかった。それまでメールでしか感じ取れていなかった感情を、実際に会ってそれが本当のものか、自分に問いただしていたんです。早速メールを打つことに・・・。連絡がない。<こんな時って皆さんは待てますか?この空白の間がちょっといやだと思いません?>
2日後の深夜、首を長くしていたメールが届き「今度じゃー・・・の居酒屋で酒でも飲んでストレス発散しませんか?」彼女も・・・?なのだろうか?
少なからず、妙なにやけ顔。約束の日は今度の金曜日の夜だった。週末までの災害状況は一向に好転しない。テレビを見ると火山の話・・・。仕事でも直面し勤務後の余暇もこれじゃ気が休まる暇がなかったが、心から会いたい気持ちは募っていくのは当然でした。

恋から愛へ<第7話>

 心から会いたい気持ちは募っていくのは当然でした。差し迫っている緊張感。と日々の不安で未来への不安。私の心の中の決め事。運命は自分で切り開いて作っていくもの、親の敷いたレールや道を歩んで、死の床に伏す時に思い返して後悔がない人生でありたいと。ある言葉を聴いたことがある。人は行動しなかったことに後悔すると・・・。まさにその通りであると思います。あなたも経験がありませんか?あの時告白していたら・・・とか。私も体験しました。だから、独身の方にはもっと行動をとってもらいたいと。それが自分にとって今を大事にいくるってコトではないでしょうか?ちょっと話が脱線しましたが・・・。ごめんなさい。

 待ち焦がれた金曜日が来た!!!。夕方5時。いやな予感でした。「あつしくん・・・・・」案の定だった。通行止めの道路を明日未明に交通開放する。と天からのお達し・・・。「また、どっかの議員が圧力かけたんだな。」と思っていた。
 彼女から元気をもらった私は、迷うことなくパトロールへと向かっていった。<次回につづく>

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2006年07月06日

恋から愛へ<第8話>

 彼女から元気をもらった私は、迷うことなくパトロールへと向かっていった。
次の日の午前5時に通行止めを解除するためのパトロールだった。雨や風で道路の状態は最悪だったが、特に問題もなく深夜のパトロールを終えた。
 彼女へはメールを出していなかった。私の心の中では「きっと判ってくれる」とまだ会った事のない存在に、信頼感をなぜか持っていました。
 メールを出せたのは、土曜日の昼だった。連日の疲れの貯金。疲れ果てた私はパソコンの前に立ちありがままの状態を、キーボードに打ち込んでいった。・・・

 「大変申し訳ないことをしたな。移動中でもメールは打てたのに・・・」
<行動せずに後悔していた自分。>男って不器用だなと思いませんか?
 心理的に誰かを必要としていた私は、彼女の存在だけが唯一のオアシスだった。思いを募らせているときが、着飾っていない自分でいることが出来た。
「また、来週にでも会ってもらえませんか?」とお詫びと、心から訴えるようにメールの送信ボタンをおした。
2006年07月07日

恋から愛へ<第9話>

心理的に誰かを必要としていた私は、彼女の存在だけが唯一のオアシスだった。思いを募らせているときが、着飾っていない自分でいることが出来た。
「また、来週にでも会ってもらえませんか?」とお詫びと、心から訴えるようにメールの送信ボタンをおした。

ここから第9話
メール送信ボタン押し、いつもより早い風呂に入ることにした。避難所兼住居兼事務所には4つの風呂が設置されていた。避難民でありながら、一般住民とは隔たりのある待遇。<皆さんは公務員は夢の生活だと思っているかもしれませんが、それは一部で、地方公務員は官僚からすると落ちこぼれと思われているんです。これでも高卒で役所に入ったのに・・・での給料は。高卒で公務員になるのは難しいですはっきり言って・・・。>
出来れば、過去のお話も見ていただけるとうれしいです。

 お風呂のあと、仲が良かった藤田氏と連絡が取れた。「今日焼き鳥や行かない?」うれしい誘いでした。彼女との約束がパーになったのですから。
午後7時になり藤田氏と行きつけの居酒屋へ・・・。相変わらずのいつもの愚痴でした。下っ端は歯車でしかないだの、うんたらかんたら・・・。
彼女との約束が果たせず、飲みまくり妬けになっていた自分を今でも思い出します。<皆さんも自棄酒したことありますよね?>伊達のスナックに洞爺湖温泉町から避難してきたママの店でいつものように朝6時まで、会った事のない彼女のことを胸に描きつつ朝もやの中を、住処まで帰って行った。

 朝7時住処までやっとの思い出たどりつた私は、おもむろにパソコンの電源を。メールだ。彼女に違いない・・・・。
<次回に続く>

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2006年07月12日

恋から愛へ<第10話>

 お酒臭さのにおいのシャツを着ながら、メールを読みました。
「お互いつらい時期だと思いますが、一所懸命に頑張りましょう」
この言葉を目にしたとき、なぜか涙がこみ上げてきました。いつも強がって見せていた自分がメールの一文に過ぎませんが、これほどまで心の芯まで温かくそしてやさしく思えた瞬間でした。
「いつか必ず顔を合わせて話すことが出来ますよね?それまで待っていてください。僕ももう少しこの職場で頑張りますから・・・」と返信を入れました。
公務員生活から足を洗いたかった自分。やりがいを感じていなかった自分。
そして、メール一行の文に今の気持ちを彼女へと送ったのでした。

その後、二日酔いで週末の貴重な時間を無駄にしてしまいました。
「独身貴族から抜け出そう。」そう決意した週末でした
<次回に続く>
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2006年07月14日

恋から愛へ<第11話>

 その後、忙しい中でも毎日のメールは欠かすことがありませんでした。
仕事や生活での不満をメールでぶつけ合い、まだ会った事のない彼女への思いを募らせていく自分を感じていた。
噴火から3箇月が経ち、ようやく復旧活動も行われ普段の生活を起こせるようになり始めたころ、伊達に本拠地となる事務所が用意された。
毎日日替わりで、国会議員等の視察が多くわれわれの事務所にも数名か視察にきていた。「国会議員が来たって、どうせ汗水流すのは俺たち下っ端の仕事だから・・・」とぶつくさと・・・。
毎日、こんな状態が続いていた。
彼女へのメールで「もう少しこの職場で頑張ってみます」と強がっていましたが、現実はとても辛く毎晩ウイスキーのボトルを開ける日々が続いていきました。うつ状態の前段はアルコールなどにはまりやすいです。正直。(経験者は語る)
ある視察者にこういったことがある。「緊急時の避難マニュアルなど整備されておらず、地方自治体は限界に来ています。国レベルで整備しないと問題がある」と。仕事をやめたい気持ちでしたが、自分が市民のために頑張りたいという公務員に成り立てのころの気持ちは失っていませんでした。

あの年は大雨による災害が全国各地で頻発し、報道でも国の対策が遅いとの不満が取り上げられていました。
近年ではある程度の法整備が進められあの時よりは良くなっています。
実際、災害にあった人物ではわからない苦労が報われほっとしています。
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2006年07月18日

恋から愛へ変わるとき<第12話>

毎日の視察者に嫌気がさしていましたが、毎日の救いのメールのやり取り。
彼女の看護婦としての仕事が私の仕事より有意義で、生きていることを実感できるエピソードなど大変ためになることばかりでした。人の命の大切さ、思いやり
やさしさ・・・。
寮に帰っても心ここにあらずで・・・完全に恋に落ちてしまったのだろうか?
窓から見える病院。まだ会った事のない彼女のいる病院を見ながらメールを打っていた。その日は日ごろの仕事が限界に達していてストレスもピークに達していました。「もう本当にやめたい」彼女へとメール送信。ちょっと涙ぐみながらやさしさに触れたかった。その後深夜にもかかわらず、悪友の藤田君と伊達市街地にある焼き鳥店へと向かい、心の隙間をお酒と焼き鳥と途方もない会話で埋めていったのを覚えています。「仕事やめようなんて考えて俺どうかしてるんじゃ?」と酒の力で紛らわし、カラオケのあるスナックバーへと千鳥足ながら向かっていった。噴火から約3箇月のことだった。
2006年07月19日

恋から愛へ<第13話>

噴火から4ヶ月が経った7月のことです。事務所(会社)のすぐ目の前には、パチンコ屋があり私は仕事帰りにいつも立ち寄っていました。もちろん職場の同僚も通っています。私はパチスロ・パチンコの両刀使いで勝つときのほうが多かった。避難民なのにこんなことしてて本当にいいのなんて考えてたりしてました。
ある日のこと私の隣に女性が座っていました。某○ジのアナウンサーに似てる人でした。「かわいい人だな」と思っていました。
少し経って私のパチンコ台が爆発してしまいました。隣の女性に「すごくいいですね。」と可愛らしく微笑んだのです。そのやさしい目と声はなんとも心地が良かったのを覚えています。残念ながら彼女は・・・。負けているみたいでした。
私はというと相変わらず出っ放し6箱積み上げました。彼女が「お先に帰ります。」と一言。いまどきの若い子にしては愛くるしい人だなと感じていた。
職場でも女性はいるが、その女性はどこにでもいるタイプの女性という感じはなかったんです。やさしさがにじみ出てるというか・・・。
「あんな子、彼女にしたら毎日が楽しいだろうな」とメールを続けている彼女にちょっと申し訳ない気がした。その晩はちょっと気になる彼女へはメールを出さなかったんです。

その晩メールが届いていました。「今日久々にパチンコしに近所の店に言ったんだけど負けた」との事。私は「かわいそうに。もう少しで仕事にひと段落着いたら一所に行ってもらいませんか?」とキーボードに打ち込みました。送信。
メールの内容を見直し「この町狭いからどこかであってるかもしれないな」感じのいい子だから彼氏いるんだろうな・・・。とそうぞうを膨らませていたのを覚えています。
後にパチンコ屋で隣に座っていたのが、今の奥さんだとは知る余地もなかったんです。
<次回に続く>
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2006年07月22日

恋から愛へ-5話までの総集編-

これは私の実際の話です。今までの第1話から第5話までの総集編です。

<第1話>
私が回復したのは妻のおかげです。妻との出会いの話をしましょう。妻とは北海道有珠山の噴火がきっかけで知り合いました。そのころ私は北海道の有珠山麓にある虻田町に勤務していました。年は28歳、職場では中堅的存在でした。新人時代の使命感も役所の雰囲気に呑まれ、いつ退職してもおかしくない状態でした。そのころは世間では不況といわれているとき。「おれ、何のために生きてるんだ?」と日々思っていました。私の所属している部署は土木系でありとあらゆる知識が必要な部署でした。用地買収、地元説明会、町長説明等々。幼少のころから植えつけられていたヒューマンスキルのおかげで、係長から「きみ、本当にこの職場向いてるね」といわれた。私は   は・・・そうですかと返事した。もう退職を頭に描いていたからです。虻田町配属となって約1年がたったある夜、地震が起きました。「いつもの自身の揺れじゃない!」と思っているとTV速報がはいっていました。
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2006年07月24日

恋から愛へ<第14話>(父の命日)

 避難生活が4ヶ月目で7月も月末となり、私の絶対忘れてはならない日がやってきた。それは24日。父の命日です。3年前の夏になくなりました。酒を1滴も飲まない父。なぜか肝臓がんに侵され病院に入院するころは、全身転移。母からの電話で入院の状態を聞き「まさかあんなタフなのに?」耳を塞ぎたかった。

 父は、実は血がつながってはいない。義理の父なのです。田中邦衛さんそっくりで、私が5歳になるとき、両親の離婚。離婚の原因は父が家にお金を入れないことが主な要因だったらしい。そのせいか、私はそのころでは珍しいくらいの貧乏生活だった。今のようにコンビニのない時代。近所に○×商店とかがあった時代で、人情に厚い時代のことです。店の商品をつけで買い、成長盛りの兄弟を食べさせてくれた。つけはかなりの金額だったらしい。それでも、そこの店主はいやな顔をせず「あつしちゃんにおいしいもの食べさせてあげて」と借金が莫大にもかかわらず食料をつけ払いで売ってくれたとの事。
北の国からを見てると「うちのようだね」といつも思っていた。
あの近所のお店屋さんの優しさがなければ、今の私はいなかったのだろうと思います。

 その年は3回忌法要をしなければならない年でした。しかし私は噴火の避難民の状態。法要など開ける状態ではなく、父と仲の良かったお坊さんに「僕一人でも法要やれますか?」と聞くと、「おお、父さんとの約束だからな。よく父さんのことを思い出したね」といって快く引き受けてくれた。
彼女に、「今日、父の法要に行ってきます。」とメールを打った。
父が眠っている小樽へ。分骨があるお寺の納骨堂へお坊さんと向かう。
「噴火で大変だな。」とその一言は私の仕事への不満やストレスを知っているかのようで、心を見透かしているかのようだった。納骨堂の仏前には、写真嫌いの父が残した1枚の写真がニコッと微笑んでいた。「ただいま」私は胸の奥で挨拶した。
 お経が終わりお坊さんと世間話。「母さん大丈夫か?」「ええなんとか・・・。」母は父をなくしたショックでうつ病状態で入院していた。「大変だけど頑張りなさいよ。」と・・・。結婚して早く子供を見せたかった。メールの彼女とあと数年でいいから早くで会えていればと思うと、運命の残酷さを冷たく感じる。結婚したくない女性が増えているが、両親が亡くなって自分ひとりになった時のことを考えて欲しいと思います。両親もなくなり、パートナーもなく自分が愛し愛される人がいなく、一人寂しくなる時がきっとくるからです。私は一人では耐えられない。
 
 久しぶりの実家だったが、幼少のころがトラウマとなっていて一秒でも早く町から立ち去りたかった。
 彼女へメール「今日、父の法要に行ってきました・・・・」その日幼少のころのいじめられていた日々を思い出してしまい、涙が頬をつたってキーボードに雫となって散らばっていた。
 「あなたの優しさに触れ私は嬉しいです」と赤くした目をにじませながら送信ボタンを押した。

<次回に続く>
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2006年07月26日

恋から愛へ<第15話>(白い車)

父の法事を済ませ、仕事もなんとかこなして1ヶ月経った後の8月の下旬。
そろそろ仕事も落ち着いてきたし、メールの彼女に会おう。そう心に決め「○○の焼き鳥でも食べに行きませんか」と送信。夕方に送ったメールは22時には返事が届いていました。「今度の週末ね!いいよ。」と嬉しくなり、悪友の藤田君といつもの焼き鳥屋に足を運んだ。連日の暑さでビールが喉を鳴らし全身に爽快感がこみ上げてきます。「なんかいいことあったの?」「いんや、なんもね」等と藤田君は不思議顔。その日はそこそこに切り上げ寮へと引き上げていきました。
 週末を目前とした木曜日。「係長!明日昼から休みます。」年休を使っていなかったのでこの際取ってしまった。「おおいいよ!。いい事あった?」なぜ皆からそのようなことを言われるか気づかなかった。臨時職員の女の子が「atusiさんニヤにやけてますよ。」と一言。まマズイ、会社の誰にも気づかれてはいけない。なぜなら、ちょっと昔は、インターネットで出会ったなどというと、だまされるとか、いやな目で周囲から引かれてしまうからで、自分も周囲から気づかれたくなかったので、公言は控えていた。
金曜日の昼になり、「それじゃー良い週末を・・・」と皆の視線を背中に受けある店へと向かった。
その店は、伊達にある洋服店。田舎ではあまり良い店がなかったが、この店はお気に入りの1店。夜のデートのため少ないお金でTシャツとGパンを買った。
このTシャツは5年もたっているが、妻に聞くと「このTシャツ私好きなんだよね」と思い出の一品になっている。
 このTシャツとGパンを日焼けした体にまとい待ち合わせの場所へ。
会社の近くのパチンコ店の少し近くに街灯があり、その下に彼女がいることになっていた。私の寮からも数分のところ。1ヶ月前に買ったばかりの白のACW。この車に初めてのる女の子は彼女と決めていた。
 街灯下を車のヘッドライトで照らすと、どこかで見たことのある女の子がしゃがみ込んでいた。
<次回に続く>
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2006年07月29日

恋から愛へ(第16話)-対面-

会社近くのパチンコ店で隣に座ったことのあるあの女性だった。
車を止めて「あのぅ、待ちましたか?」「いいえ。家近くなので。」「どうぞ車に乗って・・・。」なんとも不器用な言葉の言い回しでした。
新車に初めて女性を乗せた達成感と、会った事のある女性で安心し、どこからともなく湧き上がる達成感。車を町の焼き鳥屋近くの駐車場へ向け滑らせていった。
車中では「ほんとに焼き鳥屋でいいの」と聞くと彼女はあまり流行の店は好きではないらしく、落ち着いた雰囲気の店でゆっくり話したかったらしい。
いろんな女性がいるが、メールを約4ヶ月間続けていたせいで、親近感が二人を包んでいた。
 そのころの私は、仕事に対する熱意と疑問に苛まれ毎日酒にどっぷり漬かり、翌日には仕事をすることが出来ない日々が続いていた。仕事に通うのも嫌気が差していた。うつ病の典型的な例だ。
 彼女にはそのことを悟られないように、噴火での苦労の話のこと。仕事の内容など彼女の隅から隅まで知りたかった。夜8時に待ち合わせてから深夜2時まで飲み続けた。
 初対面なのにちょっと失礼だと感じこう切り出した「もしよければ、来週でも会ってくれませんか?」
「毎日でもいいですよ。これ私の携帯電話の番号だから、暇なときに電話してね。」「えっ?いいんですか?」彼女も私のことを気に入ってくれたらしく、携帯電話の画面を私に手渡してくれた。
「そろそろ送っていきますね。」そういうと、少しの寂しさを覚えた。
歩いて彼女の家まで送ることに。飲酒をしているから当然のことだ。私は以前に飲酒運転でいたい思いをしていたからだ。
「家はどこなんですか?」「あのパチンコやの近くです。」「おれの会社もあのパチンコ屋の近くなんです。というか目と鼻の先だけど・・・」
「毎日パチンコできるんだー」「まあね。」二人は深夜の町に響くような笑い声を上げてしまった。「じゃー電話します」彼女の家について姿を見送った。
2006年08月01日

恋から愛へ<第17話>(彼女の家)

彼女の家から私の住処はとても近かったのです。歩いて20分くらい。伊達の町は狭いから、車でも市内であれば10分もあれば主要な場所にいけてしまうのです。
寮についてから、こまめな私はメールを打った。「今日はこんな遅くまでお酒に付き合ってもらってありがとう。明日にでも電話します。」
礼儀正しくが私のモットウでありました。
その晩、なぜかいつも見ない夢をみた。彼女とのちょっといえないような夢を。
彼女は胸がふくよかで、デート中胸を見ないように見ないようにと意識していた。その反動で夢を見たのでしょうか?
 翌朝になり、早速パソコンの電源をON。
もちろんメールが届いていた。「今度私のうちで、食事しませんか?」
驚きと戸惑いがあった。メールのやり取りしている期間が長かったが、実際、顔をあわせたのは昨日の事。「ちょっと早すぎやしないか?」と思いつつ好意を感じていた彼女であったので、即座にOKのメールを打電した。
その日の昼、初めて彼女の携帯電話にダイヤルした。
声の感じからして、とても嬉しそうで良かった。もちろん私も嬉しい限りでした。「もしよければ、今日にでもうちに来てもいいよ。」「いいの?。じゃー7時にね。」その電話の後、嬉しさを感じた私は、北の湘南と呼ばれる伊達の海岸まで車を走らせ、身も心も気分爽快でした。
夕闇が近づくころ、彼女の家へ。階段を上りインターホンを押すと、優しい声が聞こえた。ドアが開き早速お邪魔した。男であれば嬉しい瞬間ですね。
料理が好きな私は、彼女を手伝うことにした。メニューはカレーライス。
私の十八番であったが、彼女に主導権をわたしていた。
しかし、彼女もなかなかの腕前で男は料理のうまい女性にあこがれるもので、彼女もまさにその域に達していた。
料理を作り終え、おいしいカレーを食べ終え彼女は食器を洗い出した。
後姿が、母親の感じがした。
夜も11時過ぎとなり、私は帰宅することにした。「じゃー帰るね」「・・・・・・」彼女の長い沈黙。何か悪いことでも・・・。私は不安に陥った。玄関で靴を履いていると後ろから、彼女が抱き着いてきた。
「どうしたの」「・・・・・・・・」彼女は沈黙しており、うっすらと目には涙が。
「今日だけじゃないんだからね」と私が言うと、ニッコリ笑い「そうだね。」と。「寮に着いたらいたら電話するからね」と家を後にした。
車に乗り運転席へ、彼女の胸の感触が背中に残っていた。
 寮に着き早速電話。「あの、もしよければ僕と付き合ってくれませんか」
と彼女に答えを求めた。
(次回に続く)
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2006年08月03日

恋から愛へ<第18話>(涙のわけ)

「うん。私からもよろしく御願いします。」
この時の感動は、今も忘れないです。みなさんも付き合い始めのときは、きっと胸が一杯になって嬉しい瞬間ですよね。
そうして僕と彼女は付き合うことになりました。
初めて会ってから二日間、私にとって短くもとても長く感じた2日間でした。
翌日の日曜日また彼女の家へと向かいました。
ちょっと照れながらインターホンを押しました。
ドアが開き彼女の顔を見ると、彼女の白い頬がピンク色に光っていた。
彼女もちょっと照れていたみたいです。
その日もまた彼女の家で手料理を頂くことに。
食材がなかったため、伊達市内のスーパーへ足を運びました。
私は心の中で「会社の人に出会わないように」と祈りつつ、店の中を歩いていました。この恋愛を誰にも邪魔されたくなかったからです。しかしながら、後日会社の係長に目撃され、係員に知られてしまいましたが・・・。

それはそうと、買い物を終えて彼女の家に帰還。
ハンバーグを作ってくれました。手の込んだ料理で、どこか懐かしく感動やさんの私は、笑いながらもうっすらと涙を浮かべ、知られないようにごまかしました。噴火のあと避難食ばかり食べていた私は、猛烈に感動しました!
食事終え、まったりとした時間をすごしていた。
彼女とソファーに座っていると、彼女の大きな胸が僕の腕に当たっていました。
私は、男性の生理反応が正常に起こり必死にこらえていました。
明日は、現場に向かわなければならないので早めに出勤しなくてはなりません。
もうひとつの私の心の中は、彼女なんだから今夜泊まっていってもいいんじゃないかと、葛藤していた。
彼女の誘惑に負け、3日目で・・・。

「昨日、何で泣いていたの?」彼女は「どこか遠くに行ってしまうようで寂しかったから・・・。」
その言葉で私はまた彼女をまた抱きしめました。

翌日の月曜日、彼女の声で目が覚めた。やばい!!!
時計を見ると出勤時間の1分前でした。
脱ぎ捨ててあった服を着込み、一度寮へ戻り作業服を着込んだ。
会社に付くころ30分の遅刻。係長がニヤケ顔で私を迎えていた。
<次回に続く>

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2006年08月07日

恋から愛へ<第19話>(キスマーク)

係長の言葉で私は、顔を赤らめた。
「あつしくん!ふふふっ。首にキスマーク付いてるよ!」
まずい。相当にまずかったです。
「昨日外で虫に・・・」ありきたりの嘘で何とかその場を凌げました。

数日が過ぎ、会社の車庫で飲み会を行うことになりました。噴火でお偉方の激励会でした。用意するのはもちろん私たち。激励に来るのなら準備までしていただきたいと思いました。
宴が始まり、ちょっとつまらない時、彼女に電話してみた。
付き合って僅か数日のことでしたが、「遊びに来ればいいよ。焼肉やら、生ホタテやらいっぱいあるから」「うん行く行く!」といって10分後彼女が着いたのです。その後私は、彼女との関係を聞かれ、「彼女です。」というと会社の女性たちから冷たいまなざし。同僚からは冷やかしの嵐。
上司からは「結婚はいつ」などと憶測を立てていました。まだ付き合って数日なのに。私と彼女は呆気にとられていた。
しかし数日前のキスマークのことを係長に問いただされ、あっけなくほろ酔い加減の私は告白してしまいました。

彼女は会社の同僚や上司などから暖かく迎えられ、看護婦の仕事のことなどいろいろ話し込んでいた。彼女はいやな顔ひとつせず、お酌していた。
男性はこういった小さな気の使い方で好意が増しますよね。
宴も終わり、彼女は片付けまで手伝ってくれ楽しかった時間はあっという間に過ぎていきました。
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